俺は何がしたい

30代男の日々感じたこと

車をぶつけた

会社で失敗をした。社用車をぶつけて一部分をヘコませてしまったのだ。幸い人身事故にも物損事故にもならなかったのが救いだが、これで精神的に参ってしまっている。

 

この程度の事故と自分で言うのは些か気が引けるが、この程度の事故、もし他人から聞かされた話なら「そういう時もあるよ。気にするなよ」と軽々しく励ますだろう。でも、いざ当事者になると、この程度の事故は心に重く伸し掛かる忌々しい事件なのだ。

 

まず、事故というのは殆どの人の場合、気の触れた享楽者でもない限り自ら進んで起こそうとは思わない。事故を起こさないという意識を多かれ少なかれ持っている者からすれば、事故は自分の意としない結果なのだ。

 

なので、事故をしたその時、当事者は「不意打ちにあった」ような感覚を覚える。視覚の死角と意識の死角とを同時に突かれた結果、事故が発生するからだ。

 

この「不意打ち現象」が思いのほか厄介で、トラウマとまではいかなくとも、私は心に大きなダメージを与えられた。

 

想像して頂きたい。夜道をなんの気無しに歩いているとき、暗がりから突如振り下ろされた木刀で脳天をぶたれたとしたらどうだろう。一瞬なにが起きたか分からずに唖然とし、その次に痛みを覚えつつこの状況に恐怖し、逃げ帰った後は「二度とあんな道通るか」と心に決めるだろう。不意打ちというのは、命の根幹を司っているであろう本能にまで届かせるショックがある。いくら理性的に「夜道で木刀でぶたれる確率」を計算して、その確率の低さを弾き出そうとも、怖いものは怖いのだ。

 

そういう訳で、不意の事故を起こしてしまった私は運転が怖くなってしまったのだが、それでも仕事なので運転をやめることはできない。

 

このショックはいつまで続くのだろうか。仕事中、運転すると人の10倍くらい疲れている気がする。荷台に積んだ荷物の揺れる音にも「何かにぶつかったか!?」と過敏に捉えるようになってしまっている。仕事のあとはもう本当にふらふらだ。気持ちがすり減っているのが明らかに分かる。

 

このナイーブな状態、いつまで続くの。。。

 

車体の傷は板金屋で直せるが、心の傷はどこに行っても直せない。

 

これからは人様の事故の話、もっと真摯に聞こうと思う。