月曜日の朝の憂鬱
月曜日の朝は、打ちのめされた気持ちになる。大概、日曜の夜は飲み過ぎてるから、アルコール由来の絶望感も相まって最悪だ。
もうこういうことを何度繰り返しているだろう。いつから月曜日が嫌いになっただろう。
思えば、小学生くらいの頃からだ。
あの頃から月曜日は嫌いだった。何故なら、なりたくない自分にならなくてはいけなかったからだ。
小学生当時、本当にやりたかったことは家族と一緒にいたり、友達と冒険したりサッカーをしたりすることだった。
しかし、学校ではそうもいかない。
先生
の目の届かない所へは行けないし、子供ながらに先生の機嫌を取る必要性も理解していたつもりだ。
友達間だって複雑だ。相手の求める自分を演じつつ、距離感をはかり、仲間はずれにされない為の気遣いも欠かせない。
あれ?
これって大人の社会でも同じなんじゃないかな。
そうなのだ。私は小学生の頃から、目上の人の機嫌を取ったり、友達に気を使ったり、やりたくないことをずっとやっていたのだ。
自由気ままでは生きていけないとある時に悟り、以来ずっとなりたくもない自分になっているのだ。月曜日が来る度に。
しかし、これらの制約はいわばマイルールである。
例え指導されることはあったとしても、他人に気を使って生きていかなければならないと明記されたルールなんてない以上、これは完璧なマイルールなのだ。
極端な話、上司の機嫌なんか伺う必要も、同僚の冗談に付き合う必要も、そもそもやりたくもない仕事をやる必要もないのである。
マイルールによって月曜日が嫌いになり、マイルールによって憂鬱になっている。それももう何十年も、ずっと。これは、ちょっと滑稽な話ではないか。
そうは言っても、大多数の人間は関係性の中でしか自己を見出だせないものである。ましてや、大人になるまで集団に属し続けてきた人間に「その習性やめろよ!」と発破をかけるのも酷な話だ。
そもそも人間はどこまで行っても他人からは逃れられない。
それならば、月曜日の憂鬱の処方箋とまではいかなくても、「この憂鬱はマイルールのせいだ」と居直ってしまった方が楽だと思う。
あなたがあなたのマイルールを破ったとて、さほど咎められないと思うし、そもそも誰も気付かないと思うよ。