俺は何がしたい

30代男の日々感じたこと

月曜日の朝の憂鬱

月曜日の朝は、打ちのめされた気持ちになる。大概、日曜の夜は飲み過ぎてるから、アルコール由来の絶望感も相まって最悪だ。

 

もうこういうことを何度繰り返しているだろう。いつから月曜日が嫌いになっただろう。

 

思えば、小学生くらいの頃からだ。

 

あの頃から月曜日は嫌いだった。何故なら、なりたくない自分にならなくてはいけなかったからだ。

 

小学生当時、本当にやりたかったことは家族と一緒にいたり、友達と冒険したりサッカーをしたりすることだった。

 

しかし、学校ではそうもいかない。

 

先生

の目の届かない所へは行けないし、子供ながらに先生の機嫌を取る必要性も理解していたつもりだ。

友達間だって複雑だ。相手の求める自分を演じつつ、距離感をはかり、仲間はずれにされない為の気遣いも欠かせない。

 

あれ?

 

これって大人の社会でも同じなんじゃないかな。

 

そうなのだ。私は小学生の頃から、目上の人の機嫌を取ったり、友達に気を使ったり、やりたくないことをずっとやっていたのだ。

 

自由気ままでは生きていけないとある時に悟り、以来ずっとなりたくもない自分になっているのだ。月曜日が来る度に。

 

しかし、これらの制約はいわばマイルールである。

 

例え指導されることはあったとしても、他人に気を使って生きていかなければならないと明記されたルールなんてない以上、これは完璧なマイルールなのだ。

 

極端な話、上司の機嫌なんか伺う必要も、同僚の冗談に付き合う必要も、そもそもやりたくもない仕事をやる必要もないのである。

 

マイルールによって月曜日が嫌いになり、マイルールによって憂鬱になっている。それももう何十年も、ずっと。これは、ちょっと滑稽な話ではないか。

 

そうは言っても、大多数の人間は関係性の中でしか自己を見出だせないものである。ましてや、大人になるまで集団に属し続けてきた人間に「その習性やめろよ!」と発破をかけるのも酷な話だ。

 

そもそも人間はどこまで行っても他人からは逃れられない。

 

それならば、月曜日の憂鬱の処方箋とまではいかなくても、「この憂鬱はマイルールのせいだ」と居直ってしまった方が楽だと思う。

 

あなたがあなたのマイルールを破ったとて、さほど咎められないと思うし、そもそも誰も気付かないと思うよ。