俺は何がしたい

30代男の日々感じたこと

つまらない

自分が半透明になっているような気がする。日々の様々に対する率直な感想は「どうでもいい」が殆ど。生活の殆どがすごくどうでもいいのだ。

 

消去法的に生きている。あれもしたくない、これもしたくない、けど暇だからこれをしよう、みたいな。根拠に好奇心や欲求や理想がないから、手にするものが抜け殻のように軽くて意味がない。

 

かと言って、ネガティブということもなく、憂鬱でもなく、淡々と日々を消化している。好きの反対は無関心というが、日々に対して無関心になっている。

 

嫌なことは、ある。けど、全てが芝居の中のような茶番に思えてしまう。これはきっと生き死にから遠く離れた出来事だから。多分、自分は連なりの中に死を見出だせないと本気で生きられないんだと思う。

 

大切なものは、ある。けど、諦めている。様々は時の流れと共に朽ちる。愛した人も友人も家族もいずれ朽ちる。自分もいつか死ぬ。大切なものを手放したくない、守りたいという気持ちは存分にあるけど、大きな時の流れの中ではそれらの存在も瑣末でしかない。

 

全て無に帰す真理のなかで様々は茶番だ。しかし感情は動く。ならばこの茶番ですべきことは感情を守ることだ。上がらずとも下がらない平常を保つことが優先すべきことだ、とか言い出すからつまらなくなる。

 

生きてる意味は何か。ここからは人生の極秘会議の審議を諮らねばならない。「生きている手応え」を感じるには資本主義の神様に心を売らなければならない。虫や木々や風と共に得る心の充足はこの社会では役に立たない。そんな深みに嵌まれば落伍者になってしまう。ゆくゆくは世捨て人だ。しかし、逃げ場所なんかない。何故なら社会を知ってしまっているからだ。

 

若さのベールを剥がされて、こんなに空っぽな自分だけが残った。つまらない。つまらない。ああ、つまらない。