楽しんで流れに乗る
毎朝毎夕、車で主要国道を走っているため、いつも渋滞にはまっている。
渋滞にはまると、もうどうしようもない。
右に左に車線を変更しても、到着時刻はさほど変わらないので、流れに任せて淡々と進んで行くしかない。
こういうとき、「流れ」の凄まじさを痛感する。
渋滞という「流れ」に乗ってしまったら、どんなに早く目的地に到着しようと思っても何もできないのだ。
これは車の運転に関わらず、日常生活や人生においても当てはまるのではないか。
先に言うと、私は人生における目標らしい目標がない。
平凡に人並みに生きていければいいかなと、そういう漠然としたイメージがあるだけだ。
なので、「流れ」の先にどのような到着地点、結果があるのかということは、先のイメージからかけ離れていなければ、問題ない。
しかし、渋滞にはまりつつ思った。
良い流れに乗れば、ストレス無く運転し目的地に早く到着できる。
悪い流れならば、いつまでも車は進まず苛立つし、到着時刻も遅くなる。
「流れ」が確かな結果を突き付けてくることは、明白なのだ。
もちろん個々人の裁量が全くの無駄ということはない。
しかし、悪い流れの中では努力や工夫が結果に及ぼす影響は微々たるものだろう。
打開策は、そもそも悪い流れに乗らないようにするか、悪い流れから逃れるか、良い流れが来るまで待つしかないのだ。
人生において、自分が今乗っている「流れ」は良い流れか、悪い流れか。
具体的な目標はないのだけれど、やはり乗るなら良い流れの方がいい。
今自分が乗っている「流れ」が如何ようなものか、少しずつ見極めていきたいと思う。
どのような「流れ」であっても、波乗りのように楽しんで流されていきたいものだ。
死にそうになったら逃げるけどね。