俺は何がしたい

30代男の日々感じたこと

困ったねぇ

常時、何かに対して嫌だなと思い続けられるなら、それは紛れもなく「嫌い」なのだから離れたらいい。たまに嫌なことが悪くないかなと思えたりするから、本当に自分はここにいていいのかどうなのか迷ってばかりになってしまう。

 

「絶望」というと大袈裟かも知れないけれど、時たま大きな絶望感に襲われることがある。それは明け方目が覚めたときであったり、出勤中の車内であったり、黄昏の夕闇の中であったりと。この「絶望」というのもいつも感じている訳でない。時たま来るから嫌なのだ。(─この絶望感に襲われる時、特に資本主義原理に則って生涯を過ごさなければならないこの人生を呪うことが多い)もし、この絶望感を常時感じるのなら、それを情熱に転じて政治的な活動でも始めるかも知れない、もしくは本当に絶望しきって何もしなくなるとう選択肢もあるかも知れない。しかし、その絶望を感じることも束の間であるので、結局のところどうしたらいいのかも、どうしたいのかも分からないのだ。

 

人は悩む生き物だという。迷う生き物だという。考える生き物だという。誰も皆、そんな葛藤の中ぎりぎりで正気を保ちつつ、何とか二本足でぶんばり立っているのだろう。迷った先に、悩んだ先にある答えが正しいとか幸せとかは分からない。辛いよな、きついよな、苦しいよな。どうしようかね、困ったね。

 

俺は俺自身のこともよく分からないけど、頑張って考えてこの問題に答えを出そうと思った。